2025年9月ウズベキスタン旅行記 【2日目 ブハラ(2)】
2025年9月6日から11日まで、ウズベキスタン(サマルカンド、ブハラ、タシュケント)を旅しました。その旅行記の2日目(その2)です。
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ホテルに大きな荷物を預け、日干しレンガに囲まれた細い路地を歩くと、旧市街の中心地であるラビハウズが見えてきた。多くの観光客が集まっていて賑やかだ。
まずは、ラビハウズのすぐそばに建つ、ナディール・ディヴァンベギ・メドレセを訪れた。この旅で初めて見るイスラム建築だ。メドレセというのは、イスラム教の神学校のこと。
このナディール・ディヴァンベギ・メドレセの正面の門には、偶像崇拝を禁じるイスラム教では珍しく、鹿をつかんだ2羽の鳳凰が向かい合うような姿が描かれている。
門をくぐると、中庭を二階建ての建物がぐるりと囲んでいる。建物には小部屋がたくさんあって、学生や学者のための居住スペースや勉強室として使われていたとのこと。現在は、土産物屋が入っていた。
ここに限らず、観光地となっているメドレセでは、中庭に面した部屋はだいたい土産物屋になっている。歴史的な建造物のこんなふうに使っちゃうんだーという感じがして面白かった。
続いて、東側にあるチョルミナルに向かう。
住宅街を抜けると、4本のミナレットが特徴的な建物が見えてきた。チョル=4、ミナル=ミナレットで「チョルミナル」。こじんまりとしたかわいらしい建物だ。そして、向かい側のベンチには、これまたかわいいネコが気持ちよさそうに昼寝をしていた。
チョルミナルの次は、西側に歩いてウルグベク・メドレセとアブドゥルアジズ・ハン・メドレセを訪れた。最初に見たナディール・ディヴァンベギ・メドレセよりも大きな2つのメドレセが向かい合っていて迫力がある。なお、ウルグベクはティムール朝4代君主で、統治者でありながら、天文学者や数学者としても評価が高い人物。私の推しの王様だ。
イスラム装飾に魅了されて、しばらくメドレセを眺めていたが、12時を過ぎてお腹が空いてきた。
Google Map で探すと、近くにザルガロン・プロフというレストランがあったので、入ってみることにした。
昼時にもかかわらず他の客がいなかったので、「ちょっと失敗したか?」と思ったが、メニューを見ながら、量はどれぐらい?とかどれがおすすめ?と質問すると、店の人はきさくに答えてくれた。
プロフとかぼちゃのマントゥとサラダを注文。
プロフは、マトンがたっぷりと載っていて、美味しかった。かぼちゃのマントゥは、見た目は蒸し餃子のようだが、一つ一つが大きく食べごたえがある。こちらも美味しかった。初めてのウズベキスタン料理だったが、大満足。これなら旅の間も安心して食事が楽しめそうだ。
大満足でお会計をすると、2人で125,000UZS(だいたい1600円)だった。これだけ食べて一人800円は安い!
お腹も膨れて、元気を取り戻したので、午後の観光スタート。タキ周辺で、おみやげ屋さんを覗きながら散策する。
しかし暑い。気温は35°Cくらいで、日差しもきつい。14時を過ぎてふと周りを見渡すと、人の数がかなり少ない。観光客もまばらで、おみやげ屋さんの店員も店の中で涼んでいて、外に出てこない。我々もみんなに倣って、一度ホテルにチェックインして、部屋で夕方まで休むことにした。
17時くらいになってようやく日が傾きかけてきたので、カラーン・ミナレット、カラーン・モスクまで足を運ぶ。
カラーン・ミナレットの迫力は圧巻だ。下から上まで細かい装飾が施されていてすばらしい。その昔、ブハラの街を破壊したチンギス・ハーンが、この立派な塔は破壊しなかったという伝説があるそうだが、納得だ。
カラーン・モスクの中も堪能して、そろそろ夕食の時間なので、ぶらぶら歩きながらレストランを探す。
夕食は、ラビハウズの池に面したレストランで取ることにした。
日が暮れて、少し過ごしやすくなった街をそぞろ歩く。
ラッキーなことに、ブハラ・ビエンナーレがちょうど始まったばかりで、多くの人たちとともに現代アートを楽しむことができた。

それにしても、ブハラの夜はとてもにぎやかだ。若者や子供連れの家族がよく目につく。子供たちが生演奏の前で踊ったり、風船を買ってもらったりして笑っている。


ウズベキスタンの平均年齢はなんと27歳とのこと。この国には希望があふれてる。うらやましいな。そんなことを考えながら、ホテルへ帰る。明日は夕方までブハラを観光し、夕方にサマルカンドへ向かう。
(つづく)